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ブルターニュ併合・その1 [西洋史]

最新号の「モーニング32号」掲載の「チェーザレ」で
さらっと触れられた
「フランスはブルターニュを手に入れさらなる強国となった」
という台詞の裏には
ハプスブルク家とフランスが不倶戴天の敵となるきっかけになった
あるエピソードが隠されています。

それが起きたのが1490年〜1493年のこと。

この後、マリー=アントワネットがフランスに嫁ぐまで
敵対関係は続きます。
ちなみにルイ=オーギュストと
マリー=アントワネットの婚約の交渉が始まったのが1763年。
ずいぶん年季の入った喧嘩であります。

…ルイ15世は嫁に来るならマリア=カロリーネの方がいいなーと
思ってたらしいけど、それはまた別のお話。
時のフランス王、シャルル8世はマクシミリアン1世の娘、
マルグリットを王妃にしていました。
そこに至る経緯は

1)
ブルゴーニュ女公マリーの急逝で入り婿マックスがブルゴーニュ公になると
フランスはブルゴーニュへの影響力を失うことになる。
フランスとしてはそれが非常に面白くない。
親フランス派のブルゴーニュ諸都市&貴族も面白くない。
理由は単純。
マリーの生前からマックスは
諸都市の特権を抑えブルゴーニュ公の権限を強化する施策を取っていたから。

2)
そこでフランス王ルイ11世は
親フランス派のブルゴーニュ諸都市&貴族を使って政治工作。
次のブルゴーニュ公はマックスとマリーの息子のフィリップだから
婿殿はとっととお国にお帰りなさい、と追い出しにかかった。
マックスの立場なっしんぐ。

3)
更にフランス王はマックスの娘マルグリットを
拉致ってアンボワーズの宮廷に連れていき王太子シャルルと婚約させた。
婚資としてブルゴーニュの豊かな地方も持参させることにしたんで、うはうは。
〜但し、シャルルとマルグリットの間に子供ができなかったら
 それらの地方は
 ブルゴーニュ公フィリップ(マックスの息子でマルグリットの兄)の家系に渡る条件つき

という感じでした。
まだ2歳のマルグリットが連れていかれたのが1482年。

マリーの忘れ形見の二人を取られる形になったマックス(24)。
それでもブルゴーニュの分裂は避けなくてはならないので
内乱を平定してから信頼できる貴族たちに
ブルゴーニュの統治と息子フィリップの保護を委ねて
オーストリアに帰国。

その後は父である皇帝フリートリヒ3世の要請に応じ
オーストリアの対スイス、ハンガリー、トルコ戦略のために働くことになり
しばらくの間、東の方でがんばることになります。

だがしかし
フランスに一矢報いてやるということはマジで考えていました。
ブルゴーニュをフランスの手から守ることは
亡き舅シャルル突進公や愛妻マリーの意に叶うことでもありましたから。