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聖闘士星矢 [雑感]

その昔、某ゲームシナリオライター氏が雑誌に小説の連載を持っていた頃のこと。
その小説の後に読者の投稿コーナーが設けられてて、
投稿葉書を氏が選んでコメントをつける形になってました。
投稿してる人が作品のキャラクターに甲冑の類を着せた絵を投稿すると
いちいちコメントで
「聖闘士星矢か?」と絡んでうっとおしいなあ…と思ってたんです。
当時は。

でも今になって
蜂須賀虎徹さんがあの戦装束を指して
「黄金聖闘士」「聖闘士星矢」と言われているのを見ると
なんというか、何かの魁になると
それはずっと言われ続けるというか、なんというか…。

全然違うんだけどね。本当は。

そして造る側もそう言われるってわかってやってるでしょう、って思う。

フォントとかMMDモデルとか [雑感]

とても素敵な手書き風フォントが配布されていたので
「ああ、こんな字で書かれた手紙が来たら嬉しいなあ」
「こういう字を書く人はどんな人だろう?」
と思ったりしました。

そのフォントを作られた方曰く、
 フォントが選んでもらえるかどうかは使えてなんぼで
 使いやすさを考えて一生懸命作っている
 どんなフォントでも、作り手は大変なんですよ、 と。

使うものは機能を満たしているのが第一。
当たり前のことと思ってしまいますけれども、
その機能の上に表現力を乗せようと思ったら殊更工夫がいる。
それでもいっぱい工夫や想いを込めて作っている。

なんかすごいなあと思います。

これって、MMDモデルとかでも同じですよね。
まず第一に機能。きちんと動かせるような構造になっていること。
おそらくこの部分は数をこなすことで
自然にできるようになっていくのだと想像します。

次に表現力。どこに力を入れるかは、作り手による。
なのえむで動かしてみて
モデルやモデラーさんによってどこにこだわってるかが
結構違うものだよなあ…ということが初めてわかったりします。
がんばって作ったところを削られるような使い方をされるのは
頭にきてもしょうがないのかもしれないなあ、とも。

フォントもMMDモデルも一つ一つが手作りの手工芸品なのに
デジタルデータであるがゆえに
あっという間に広がり、
あっという間に消費されて、
気づくと埋もれたりしてて、なんか切なくなります。

それでも作ってる方々は
もっと良いものを、と思いながら作り続けるんだろうなあ。
頭が下がります。

作る人は、すごい。

戦争と平和(やさぐれモード) [雑感]

今日ちょろっと思ったこと。
平和と反戦は等価ではない。
平和と反戦が等価ならそもそも国連平和維持軍なんて必要ないでしょー。
永世中立国たるスイスが軍事力を持っているのは
スイスという国を維持するためにそれが必要だから。

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センサーON [雑感]

昔、ミーシャが
「朝起きて三歩歩くとその日のコンディションの良し悪しが分かる」
と言ってたのをどこかで読みました。
何で読んだのかは忘れましたが、その当時は
「へー、そんなこともあるんだ。すごいなー」
としか思わなかったのですよね。

今はそれがどういう感じなのかとてもよく理解できます。
体幹が鍛えられて
身体が引き上げられてる感覚がわかるようになってから
足裏の重心のある場所がどこか
自分の軸が今どこを通ってるか
身体位置が前後左右のどこに偏ってるか
全部わかるようになりました。
一週間寝込んだ後社会復帰したときも
起きた瞬間に「あ、まだなまったまんまだわ」ってわかるんだものね。
一番いい状態になったら「ああ、戻ったなー」って思うし。

意識して使えるようになる部分が増えると
それを使うための感覚も鋭くなるのかなあ…。
今まで入ってなかったセンサーがONになった感じです。

バレエの先生が
「こういう時にはこうするとよい」と教えてくれたことも
今になってようやく「ああ、このことを指していたのだなあ」
と、理解できたりしてます。

何事も基本は大事だといいますが
基本の更に下にあるべき土台はもっと大事で
バレエを習っていた当時はその土台自体が全然できてなかった。
いろいろ損してたなあって思います。

しかし本当に
山ほどやった嫌いな腹筋にあまり意味がなくって
強制的に引き上げモードで立つ靴の方が効果があったとかって
結構へこむかもです。

世界が揺らぐ [雑感]

今、シリアからの難民が続々ドイツやオーストリアに流入しています。
救援を宣言した以上は
それを背負う覚悟があってのことだと思うのですが
それでも危うさを感じずにはいられません。

というのも、ドイツの企業が投資を続けて来た中国経済が
今不安定になっているからです。
実際、中国経済が危ない!となった瞬間に株の暴落が起き、
為替も大きく変動しました。
こういうことが二度、三度と続いたら、
欧州で一人勝ちを続けて来たドイツも自国経済を支え続けるのは
難しくなってくるように思います。

国土は広くて土地は余ってるけれども
数十万人の移民・難民を収容するだけの住居はない。
これからどうするのかなあ…ドイツは。

寝言は寝て言うものですけれどもね [雑感]

愛などというものはこの世には存在しません。
あれは人が自分の中にある雑多な情動につけたレッテルみたいなもので、
その結果引き起こされる悲劇や喜劇の言い訳に都合良く使われるだけのもの。

あるいは、なんとなく他の人とそれを共有することで
自分が孤独ではないと思い込むためにある。
愛とは自分が寂しくならないための概念。

正しく愛が存在するのであれば人は殺し合ったりなどしないはず。
愛しているという理由で奪ったり傷つけたりもしない。
結局その真ん中にいるのは「自分」であり、
自分を取り巻くコミュニティである。
そしてそれの外側には壁があって、守ったり排除したりする。

つまるところ、自分(たち)のために愛がある。

自分の中にあるのが愛。
その愛を分かち合えると思っているとしたらそれは幻想です。
なぜなら人によって自分の中に抱えこんでいる愛の形は違うから。

テトリスのパーツみたいにうまいこと組合わされば
繫がることはできるかもしれません。
でも境目は消えないし消せないし
どこまでいっても、人は一人。

慈しみと身勝手な愛なら私は前者を選びたい。
まだそちらの方がマシだから。

心変わり [雑感]

今日は、人というのはどうしてこう
心変わりするものなのだろうと
つらつら考えながら台所の掃除をしておりました。

ものすごーく好きだったものへの熱が
ふいに冷めてしまったり
特別だったものが特別でなくなったり
心変わりにも色々あります。

なんで?どうして?と思いましたが
人はそういう生き物であるというところに落ち着きそうです。

同じ場所で同じ思いで生活していたとして
昨日そうだったから今日もそうだろう明日もそうに違いないと
ずーっとそこに居続けた者ではなく
周囲の変化や自分の心のあり方の変化に応じて
行動を変えたりなんだりしてきたのが
今いる我々の先祖なのかもしれない。
新しいものに興味を移し必要な選択をすることは
生き残る上で必要なことだったのではないかと。

そう考えると
昨日の自分は今日の自分ではなく
明日の自分も今日の自分ではなく
日々変わって行くのは当たり前 なのかも。

心が変わるのは自分の意思でもどうにもならない。
もし心を保ちたかったら、振れ幅の許容範囲を広くする以外なさそう。
でも必要な変化はきちんと受け入れたい。
そんな感じかなー。

そして台所がピカピカになりました。
もっとあちこち綺麗にして回りたいなあっと。

セロトニン [雑感]

男の人って喜ぶときに
ものすごーく弾けるように喜んだりしますよね。
あのー、大袈裟じゃありませんか?もしもし?みたいな感じで。
でもそれもしょうがないのかなあ。
多分、それは女の人よりもセロトニン沢山持ってるからだよねー。

生理学的に、いっぱい幸せになれるようにできてる。
楽観的にぐいぐい前に進んで行くためにそうなってるのかなって思う。
冒険心もきっとそこから生まれてくるんだろうし、
こんな↓言葉も出て来たりするのかな、と。


こんな風な感じで幸せな気分になれたのって数えるほどしかないよなー。
実に羨ましい。
逆に考えると、ほんのちょっとしたことで
誰かを幸せにしたり勇気づけられたりするってことで、
それはそれで悪くないかも。

レジンのアクセサリー [雑感]

最近、レジンのアクセサリーの透け感がいいなあと思い始めています。
アクセサリー本体だけじゃなくて、周りにも色彩が拡がるあの感じがとてもよい。

この方の作品
https://minne.com/renapyoon
やわらかな形がいいなあと思います。
今は売り切れちゃってるのが残念。

榮さん(https://twitter.com/sakae_e)の簪もそうだけれども、
光に彩りが添えられるようなそんなものが好きっぽい。

可視光線ってそれだけだと
ただ明るいとか眩しいとかだけだけれども、
色がつくと途端に賑やかになるというか、
華やかになるというか。

そして、やっぱり花モチーフが好きなんだなーって感じで。
いつからこんなに花が好きになったんだろう。
自分では全然育てられないのに。

んーと… [雑感]

想いが溢れそうなときには吐き出した方が楽だけど
どういう形にするかは、本当に難しい。
言葉は
発した人の想いではなく
受け止めた人の解釈で形が決まってしまうから。
同じことを聞いても
みんな同じように受け止めるとは限らないものねえ。

同じことしなきゃいい。ただそれだけ。
命に関わることでなければ、大丈夫だと思う。
他の人の名誉を傷つけたわけでもないから
大丈夫だと思う。

愛があれば何をしても許されるわけではないことを知っているなら
あるいはそうであることを理解したなら
それでいいと思います。

直接見たわけでも聞いたわけでもないので
これ以上は書けない。
今回のことが原因で発言が少なくなっちゃったら
ちょっと残念かなあ…。
間違わないように気をつけて欲しい反面、
間違うことを恐れすぎないでほしいなあ、と。